藍色に染められた木綿は、古い日本の布として、今でも最も多く流れている布モノかもしれません。
「木綿(もめん)」と言えば、間違いなくcottonを指しますが、
もめんが日本で広まる以前は、「木綿」という文字を「ゆう(ゆふ)」と詠みました。
「ゆう」は、いわゆるcottonではなく、楮布(こうぞふ)や太布、
藤、穀(かじ)などの靭皮繊維の布を指したそうです。
(ご存知の方は大変多いと思いますが…)
木綿(もめん)が日本で大きく広まったのは、江戸時代のことです。
縄文~弥生は勿論、奈良時代にも、日本で栽培された形跡はありません。
799年に種だけが日本へ入ってきた記録があるそうですが、持ち込まれた種は、
日本の湿潤な気候に適さず、その当時は栽培が続けられなかったと言われています。
各地で木綿が栽培されるまで、木綿の布や裂は、外国から渡ってきた
僅かなものしかありませんでした。
日本で木綿栽培が行われ始めたのは室町ですが、
国内に広まったとされる江戸期まで、一般庶民は木綿布を日常で用いたことも、
身に付けたこともなかったのです。
木綿はワタ属の亜熱帯植物で、少なくとも5000~6000年の歴史があると言われています。
木綿には大まかに和綿、洋綿の品種があり、
日本の湿潤な気候風土に適した和綿は、下を向いて実を弾かせます。
それは雨や湿気を、下を向くことで避けたり、より早く逃がすため、と聞きます。
洋綿はその反対で、上を向いて弾けます。(写真は洋綿)
両者の大きな違いは繊維質にあり、洋綿は和綿よりも繊維質が長く、
糸の紡績に向いています。
西欧で、産業革命の幕開けを象徴した、紡績や製織の機械が作られると、
綿花はインドやアメリカ南部で広大に栽培されるようになり、
やがて大量の紡績糸と綿布が、世界で流通されるようになりました。
当然、紡績に適しにくい和綿は国内でも需要が減り、明治を過ぎると、
栽培も殆どされなくなったといいます。
現代でも、日本の和綿は殆ど栽培されていないと聞きますが、
歴史ある紺屋さんや作家の方、織物産地や農家の方などが、
小規模でも栽培を再生し、継続なさっています。
稀に、和綿を紡いだ手織り木綿を拝見する機会があると、
やはりなんだか嬉しく、美しく感じます。
話戻って、昔「木綿」とは、楮布や自然布(の一部)を指しましたが、
江戸以降には、後から入ってきた別の素材「木綿(もめん)」を指すようになりました。
素材の扱いやすさや、高い保温性等、好まれた理由は多様にありますが、
木綿(もめん)という素材は、ひとつの言葉の意味を、
すっかり上書きするほど満遍なく伝わり、人々の生活に定着したのです。
今でも骨董市場では、木綿を無地、縞、格子、華やかな筒描や型染、襤褸、
など様々な姿で見ることができます。
型染の模様や、大判布の余白、使い古された裂の表情などには、
時折、息をのむような美しさを感じることがあります。
おおらかに、又は細緻に織られた手紡ぎ糸の生地からは、
何か読み取ることができないかと、なかなか手放すことが出来ません。
…いずれにせよ、楽しみ方は人それぞれです。
実際に手に取り、日本の布を感じてみてください。